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罠だらけの現代社会

安心できる毎日を過ごしたい。

 

認められる自分でありたい。

 

くよくよしない、明るく前向きな自分になりたい。

 

お金を稼げるようになりたい。

 

生きがいを見つけたい。

 

独立したい。

 

事業を成功させたい。

 

 

一歩、踏み出せる勇気が欲しい。

 

あきらめない自分でありたい。

 

もっと魅力的な人になりたい。

 

大切な人を守れる、自分でありたい。

 

困っている人を助けられる、自分でありたい。

 

人に勇気や希望、夢を抱かせられる、自分でありたい。

 

幸せになりたい。

 

がんばる。

 

あきらめない。

 

わからない。

 

知りたい。

 

人に聞いた。

 

セミナーや自己啓発書に学んだ。

 

思うように変われない。

 

ほんのひとにぎりの『幸せそうな人』をみた。

 

どうしたら、あんなひとになれるんだろう。

 

なにが足りないんだろう。

 

わからない。

 

動けなくなる。

 

やっぱり幸せになりたい。

 

うまくいくかな?

 

うまくいかなかったらいやだなぁ・・・

 

できないかもしれない・・・

 

じぶんには、ふさわしくないかもしれない・・・

 

高望みかもしれない・・

 

ひとにいったら、無理だよ、って言われた。

 

できるよって、言ってくれたひともいた。

 

自信はないけど、やってみよう!

 

やっと動いた。 

 

動いたら、わかったことがたくさんあった。

 

動かないと、何もはじまらないことに気づいた。

 

誰もがそんな風に、この現代社会を生きている。

 

そんな姿は美しい。

 

苦しみもがいている時にこそ、生きている事を実感できる。

 

企業の生存率。

 

設立30年後、99.98%が消えていく。

 

1万社のうち、9,998社は消え、2社しか残らない。

 

高度経済成長期以降の日本では、人々は会社や何かしらの組織に、寄りかかって生きてきた。

 

経営者であってもそうだ。

 

寄らば大樹の陰、一見すれば安心できる環境だったかもしれない。

 

しかし本音はどうだろう。

 

人生の大半の時間、不満を垂れ流し、不安に怯えながら生きていたのではないか。

 

もうそんな時代は終わった。

 

不満タラタラ、不安で動けない人は淘汰される時代になった。

 

何かに依存するのでなく(自らの力で生きていく)という主体性を育まざるを得ない。

 

ひとりで生きる人は誰1人としていない。

 

依存していても生きていける環境に居続けると、主体性は枯れていく。

 

いざという時になって、どうしたらいい?と悩み、動けない、動かない。

 

ようやく動いても、いかない。

 

それは(原理原則)に則っていない、か見失っているから。

 

それを失うように、この世界は創られてきた。

 

貴方が決して力を持たないように。

 

 

 

原理原則

この為に生きている。

 

と言えるのは、どういったことだろうか。

 

それがあれは、自身の役割に忠実に生き、そして常に進化・成長し続ける。

 

原理原則とは進化・成長)するということ。

 

そして(この為)というのがカギになっている。

 

成長とは(未知が既知に変わっていく)状態の様子。

 

(成長)に向かわず、(不安)に囚われ、身動きしない(できない)事がある。

 

この場合、成長にフォーカスせず、失敗にフォーカスしている事が多い。

 

つまり、成長を望まず、失敗を回避、失敗による誹謗中傷、恥をかくことを恐れている。

 

しかしそうやって難(失敗)を逃れた先に、必ず同じ課題がやってくる。

 

それは何故かというと、人が生きるのは多分、成長・進化が目的だから、その為に訪れた課題は避けられない、ということ。

 

 

実は(不安)とは(成長に向かえていないことへのストレス状態)であり、(進化・成長が止まっていることへの危険信号)ともいえる。

 

 

 

(進化・成長)には(知る)⇔(考える)⇔(動く)というプロセスを経る。

 

社会も人の体そのものも、個が、個々の役割に分かれ機能し、(知る)⇔(考える)⇔(動く)が弛まず行われ、社会は文明として、または1人の人格として進化・成長している。

 

つまり、個人の進化・成長は、社会の進化・成長につながっていて同義といえる。

 

たとえば、飢えに喘いでいる人々がいるのに、一部の人が贅の限りを尽くしていればやがてその文明・国家・集落は終わりを迎える。

 

進化・成長のバランスを欠けば、社会も人も「病気」になり、放っておけば「死」に至る。

 

この視点に立てば、「死」は進化・成長を目的とした生命循環の流れの中の一つのプロセスに過ぎない。

 

人は「死」に大きな恐怖、悲しみを感じる。

 

それによって、進化・成長につながるからだろう。

 

人は大切な人の「死」に理屈無く、大きな恐怖・悲しみを必ず覚え、制御することはできない。

 

世界の5%しか解明できていない人類の叡智をとうに超えた仕組みがあるんだろう。

 

 

 

(知る)

 

ここでは「事実を把握する力」と定義する。

 

生まれ育った国、故郷、文化、家族などの生活環境などから、社会を知る。

 

学校教育、職務を通じ、社会全体のことや、仕組みを知る。

 

これら「過去、または現状の事実」を人はまず「与えられる」ことで知り(進化・成長)は始まる。

 

自然界では、太陽、空気、水、土、山の幸、海の幸、森羅万象すべて「与えられる」。

 

過去起きた自然災害を知ることで、次なる災害を予測でき、備えることで被害を最小限に抑える。

 

これも「過去、または現状」を知ることから始まり「未来を考える」ことで、備えにつながっている。

 

まずは(知る)ことで始まり、先人の務めとして「与える」教育等の環境整備は常に求められる。

 

現代はインターネットにより(知る)ことが容易になったように思えるが、情報はコントロールされており、いわば「温室栽培」とか「遺伝子組み換え」のように作為的状況にある事は充分留意しなければならない。

 

 

 

(考える)

 

ここでは把握した「真実」が「世の中にどう活かせそうか創造する力」と定義する。

 

「過去、または現状」の知識を得て、真実を把握し、初めて「考える」ことができる。

 

しかし、この(考える)力は、人によって大きく差がある。

 

(考える)力を発揮する源泉は知識の総量だが、「知る」段階でつまずく事が多い。

 

例えば、日本史に何の面白さも感じられず、将来何の役に立つのかも示されなければ、この知識習得は苦痛でしかないが、この「全く意味がないと一見、思われる事も知識として習得し乗り越える忍耐力」を備えた者が、この国を支える立場に立っている。

 

忍耐力が重要なのは確かだが、この「クソつまらない事が何の役に立つかを示す」ことに歩を進めたい。

 

このハードルを越えられない若者がいるのは、その若者に関わる先人にとっても「クソつまらない事」は単なる「苦痛の経験」のままか、苦痛を喜びに感じる極度のマゾヒストだからだろう。

 

「苦痛の経験」を知ったなら、それが何の為に活きたのか、活きそうなのか(考える)のが知性だ。

 

東日本大震災は平成最悪の「苦痛の経験」だった。

 

何故こんな苦痛の経験しなければならなかったのか当の被災者は(考える)ことから、逃れようにも、逃れられない。

 

(考える)事を強いられた被災者は(進化・成長)せざるを得ない状況に追い込まれたとも言える。

 

「人とのつながりの大切さを気づかせられたり、新たなチャレンジに向かわせてくれた。」という言葉が被災者の中から出始めた。

 

多くは中年以降のいわゆるオジサンオバサンだったが、このように輝いている方々にはなかなか出会えないのは何とも皮肉なことだ。

 

 

(動く)とは

考え、創造したことをそのままにせず、少しづつでも動いていく事、と定義する。

 

 

  

原理原則のカギとなる『この為』というのは、理念や価値観の事。

 

自身や会社が『なぜ、存在するのか』という存在意義でもある。

  

何を大切にしたいか

 

何を大切にしてほしいか

 

その『想い』が、その人や会社の揺らがざる『軸』=『為』=『為す事』を決めている。

 

それに沿って、何かを『知り』、『考え』、『動き』、世の中に存在たらしめる何かを為している。

 

 

個人の視点なら『価値観』と呼ばれる『為す事』。

 

社会の最小単位、家族の視点からは『家訓』と呼ばれる『為す事』。

 

会社の視点からは『理念』と呼ばれている『為す事』を表現しなければならない。

 

 

会社の視点で例にすると

『我社は、業界の発展と、地域社会に貢献し、従業員の幸福を追求する。』

とよく書かれているが、これでは単なるお題目に過ぎない。

 

偽善の匂いがする理念には、往々にして大義名分的でぼやけている。

 

こういう会社は、せいぜい金儲けが目的で、続かない。

 

本気で社会の為に存在したいと思うなら、何故業界の発展に寄与したいのか、従業員の幸福をどう追求したいのか、を問い、もっと深みを感じられる理念に落とし込まなければならない。

 

昨今、ボトムアップという風潮があり、従業員の声を経営に反映させるといい、従業員の言うがままにさせている向きがあるが、これでは片手落ち。

 

会社も一個の生命であり、『知る』『考える』『動く』というプロセスは成長・進化の原理原則だから、従業員の声から『真実を知り』『考え創造』しなければならない。

 

真実を見極め、創造する、というプロセスは尊重すべきだ。

 

 

 

そして『理念』を実現するために『行動指針』が必要になる。

 

例えば

『利益を追求する』『顧客満足を追求する』『ひとりひとりの能力を最大限に発揮する』

 

で、それぞれをブレイクダウンし具体化し行動計画に落とし込む。

 

残念なことに、ほとんどの会社では利益追求ばかり計画し、顧客満足や社員教育はおざなりになっているが、こういう会社も続かない。

 

 

ひとりひとりの人生にとっても、同じ。

 

『実現したい』=『為す事』=『価値観』は何か。

 

実現するための『行動指針』=『大切なこと』は何か。

 

 

成長・進化し続け、生き残る会社には、要因が3つある。

 

①誰が見ても何の為に(つまるところどんな人の為に)存在しているかがわかる『理念』=『為すべき事』が明文化されていて、会社に浸透している。

 

②『理念』を実現する『行動指針』が『(顧客)(自社)(競合)の観点で、計画化』され浸透している。 

 

③誰もができるように、『仕組』ができている。

  

 

誰が何と言おうとやり遂げたい、突き動かされる『想い』がすべてのはじまり。

 

『想い』に『行動』が沿っていれば、信頼を得て、適正な利益を生み出せる。

 

そして、誰もができるような『仕組み』が整っていれば、より行動の成果を高め、より適正な利益をもたらし『想い』の実現を助ける。

 

 

これを人生に置きかえて、生きていけば良い。

 

そうすれば何にも依らず『自分の人生』を生きることになる。

 

 

では、どうすればいいのか、大切なことはシンプルだ。

 

原理原則を体現した人、史実に学び、忠実に、実践する。

  

 

原理原則を大切にしている経営者のもとで、徹底的に働けば学べる。

 

 

しかし現代は様々な『罠』に埋もれて、原理原則はおろか、それを大切にしている人でさえも、みつけづらくなった。

 

知識、技術、ノウハウは、原理原則のプロセス(知る、考える、動く)に則ってはじめて、成長・進化の礎となる。

 

枝葉を観て、木を観ず、木を観て、森を観ず、そんなことが続けさせられやすい世の中。

 

『様々な罠』に気をつけなければならない。

 

原理原則から外れてはならない。

 

いくら時間があろうと、いくらお金があろうと。

 

原理原則とは、いったい何なのか。 

 

 

 

世のため、人のため


 

 

 

 

 

もっともシンプルで、もっとも大切な原理原則は『世のため、人のため』。

 

経営においても、一人の人生においても変わらざる原理原則。

 

すべての基準にすべきことは世のため、人のためかどうか。

 

『そんなこと偽善だよ。』と思う人がいるかもしれない。

 

たとえば、まったく逆だったとする。

自己中心的に生きてきたという場合。

 

『私は、私自身の成功だけを考え、そのために人も傷つけてきたこともある。』

 

『その結果、事業は成功し、不自由ない経済力も手に入れた。』

 

『誰かのために、世のために、など、そんな立派な人間ではありません。』

 

『世のため人のため』ということについての基準が高いといえる。

 なぜなら

人を傷つけてきたと認識している。

『その人が傷つき、悲しんだこと、苦しんだことをわかっている』。 

「自分をわかっている」。

 

一方、傷つけられた人は果たして本当に不幸だったのか。

たとえば商売敵で、真剣勝負の末、倒産に至らせてしまった。

倒産したその人は絶望の淵に立ったかもしれない。

すべてを失い、自殺さえ考えたかもしれない。

 

しかし、大切な何かを失ったときに、もっとも大切なことに気づける。

そこから人生を再出発し、前よりも力強く生きていくことができる。

(再起できない人もいる)

 

だとするなら、絶望の淵に追いやったその人は、成長の機会を創り出したともいえる。

その機会に立ち向かわず自ら命を絶ってしまったのならそれは『逃げた』ということに他ならない。

 厳しいかもしれないが。

死ぬ勇気があるのなら、なんでもトライできるはず。

もし「死にたい」と思うなら、それこそ死ぬまでトライし続けたらいい。

 

特に日本は、家がなかったとしても十分に食料も水も手に入れることができる。

ひょっとしたら、死にたいと思っている人は

(もうこれ以上、屈辱を受ける位なら死んでしまいたい)

とか

(死んで借金をチャラにしよう・・・)

とか思っているかもしれない。

 

屈辱から逃げた死は、その屈辱に耐えられなかった人として歴史に名を刻む。

借金から逃げた人は、ずっと借金から逃げた人として歴史に名を刻む。

肉体の死どころか、末代にわたってその人自身の尊厳も汚されてしまう。

 

そこで踏ん張れば、その人生はこの世界で苦しむ多くの人にとって希望となる。

 

会社でいえば理念、一人の人生でいえば成りたい姿や価値観。 

これが世のため、人のために、ということなら自ずと繁栄する。

  

独立2年目の美容関係の個人事業者が月間収入15万円から35万円へ20万円、175%アップした。

 

その人

『毎月の収入がいつも足らなくて、友だちやお客さまからお食事のお誘いを受けるのが苦痛なんです。

お客さまとのお付き合いがたいせつなことは、もちろんわかっているんですけど。。。

どうしたらいいのか、わからなくて。』

 

Aterra

『少しでも早く、売り上げをあげたいんですね?』

『今はどういう状況なんですか?』

 

状況を聞いてみると、一切、営業活動もせず、

サービス紹介ツールもなく、ただご紹介だけで、地道に増やしているとのこと。

 

Aterra    

『なぜお客さまは、大切な方々をご紹介してくださるのですか?』

『なぜ、他の人たちと違う、成果を出せるのですか?』

『なぜ、このお仕事をされているんですか?』

 

勢いでそこそこ売れてしまう典型的なタイプではあるものの、その専門的技術や知識はかなり高い様子。

その努力も怠っていない。

何よりも『想い』がシンプル。 

 

『すべての女性が心身ともに美しくなるサポートをしたい。』

『もし美しくなれたら、その人は自信をもつことができ、毎日が楽しく、いろんなことにチャレンジできるようになっていくんです!』

それは自身の体験に基づいてのことだった。

 

Aterra  

『お客様に、もっと喜んでいただくために、何かお考えですか?』 

 

せっかくお客様には高い評価をされているにも関わらず、なぜか、永くお付き合いをしていく、という視点がない。

そのどこか前向きでないのは、なんだろう?

いろいろと聞いてみると、どうもお客様からの評価を素直に受け容れていない。

どうも『自信がない』よう。

 

『短所と長所は、同時に存在している。』

 

『自信がない』から、物凄い努力をする、ということにつながり、技術や知識を高めることができ顧客満足につながっていた。

しかし、人からの評価は(信じられない)と、心を塞いでしまう。

 

収入があがらない原因はいつも

『自分も、相手も信じきれていない』ために引き起こされている思考と行動にある。

『今の収入(売上)レベル=生活レベル、は実は自ら選んでいる。』

 

これはすべての企業、すべての人の人生にあてはまる真相。

その要因は、『(信じられない)という心の癖』が原因。

それが解決すれば売り上げをあげる仕組みが活きることになる。

 

テーマは『自分を信じること』。

『すぐに不安になったり、悩む』ということがあったとしても

『それは~なので素晴らしい』と、自分をみとめてあげる。

自分は、もっとも大切なひとのように大切にし、外の世界とは自分のように大切に。

 

✔すぐに不安になったり、悩んでしまうなら・・・

 

(感情がとても豊かなんだ)

(感受性がとても鋭いんだ)

とネガティブな自分をポジティブに認めてあげる。無理やりにでも笑

(ってことは、人のキモチも敏感に感じることができるってこと?)

(これって、強みかも・・・?どうやったら活かせるだろう?)

というように、不安を希望に変えていく。

  

(不安になったり、悩むことはダメなことじゃないんだ・・・)

と自己認識を変えていく。

 

✔人が信じられないなら・・・

 

(誰かに依存しない責任感が自分にはある)

(納得するまで勉強する、向上心が高い)

というように、自分に視点を向けて、なぜそうなるのか自分の特性をみつめる。

 

 

✔非難されるかもしれない、という不安には・・・

 

(このアイデアを喜んでくれるのは、こんなひとだ)

(考えて、考えて、考え抜いた。これでダメならしかたない』

と、非難されることでなく、称賛されることに視点を向ける。

それまで努力してきた自分を素直にみとめ、もし傷ついたとしても誰か喜ぶひとがいるのならしかたないと、ふんぎりをつける。

 

 

このように「気づいていないことに、気づいていくこと」「視点をポジティブな事柄に変えること」がポイント。

 

 

『自分を信じられない』のは『思い込み』。

 

ある『トラウマ』への認識が変わったとき、大きな変化が起こる。

『トラウマ』が根っこの原因であるケースは多い。

そうして、ようやく『自分』を認めて、ひとのことも、『素直に受け入れられる』ようになっていくと視点、世界観が変わる。

 

そしてはじめて、人との関係を大切にできるようになる。

売り上げを高めていく仕組みは、動かさなければ意味がない。

仕組みを動かすのは、あくまで本人。

そうして2倍ほどの収入を得られるようになった、という事例。

人を認め受け入れるということは、自分を認め受け入れるということでもある。

 

その人

『来年は海外にいきます!』

『将来は自然の中に一軒家を建て、みんなをおもてなしするんです!』

と喜々としていた。

 

『心からの願い』を軸に、叶うように、すべてを合意していくプロセスを【Spring】と呼んでいる。

  

『心の底からの願い』を見つけることが、もっとも大切なこと。

それがわかれば、能力は100%発揮される。

 

観たい世界、実現するために必要な行動に集中することができるようになる。

  

Spring

20年間、1000社を超える企業、1万人を超える人材採用、人材育成および事業成長のコンサルティングにおいて、最短3か月、最低130%以上の業績向上に至る体系化されたプロセス。 

 

 


プロフィール

 

 

 

 

 

 

【専門分野】

●マーケティング(調査・企画立案・実践・検証) ●人材採用・育成、組織構築

 

【実績】

営業・販売・人材採用領域において、取引累計約1200社。

 ※秘密保持の為、社名等は非公表。

 

 

◆非営利

 

・公益経済団体(広島)(東京)

・文化振興・自立支援(広島)

 

 

◆個人・中小

 

・美容・リラクゼーション(広島)

・食品加工(広島)

・内装工事(広島)

・ドラッグストアチェーン(石川)

・食品メーカー(大阪)

・不動産販売(岐阜)

・投資用不動産(東京)

・保険代理店(東京)

・医療商社(東京)

・医療品販売(東京)

・外食(東京)多数

 

 

◆ベンチャー

 

・コスメ系EC(広島)

・移動販売(広島)

・ペット用品通販(岡山)

・医療コンサルティング(東京)

・外食向けIT(東京)

・ネット決裁システム(東京)

・eメールマーケティング(東京)

・広告(東京)

・営業・人事コンサルティング(東京)

 

◆株式上場

 

・ドラッグストアチェーン(岐阜)

・通信(東京)

・外資系IT(東京)

・家電量販店(栃木・東京)

・アプリ開発(東京)

・医療メーカー(東京)

・広告(東京)

 

 

【プロフィール】

 

1975年東京都八王子市生まれ

最終学歴 国立東京工業高等専門学校 情報工学科 中退

 

父(昭和)は消防車の職人、祖父(大正・昭和)は静岡で船大工、曽祖父(明治)は塩釜で船大工。

村上水軍と関係が近かったらしく、戦国時代には織田家の家臣だった可能性があるらしい。

 

幼少期

 

両親が死の淵に立つ出来事が連続して起きる。

父は胃癌から転移した膵臓癌で余命半年を宣告。

母は、交通事故で急性くも膜下出血。

莫大な医療費のために、貧困に陥った。

 

 

~青年期

 

学生時代、毎晩、繁華街に。

不摂生を見かねた父に追い出され、サッカー部室に寝泊まり。

学費と生活費を稼ぐ為、夜間警備のアルバイト。

バイト・学業・サッカーの三方良しにチャレンジ。

講義中は警備員スタイルで全居眠り。

ドイツ語の先生に教科書を束ねて殴られ、頭のネジが飛んだ。

 

 

社会人~

 

1995年 人と接する仕事に面白味を見出しウエディング業界へ

 

(経営側にまわって自分の想うサービスを実現したい)

と考えていた時

(営業は経営を学ぶにもってこいだ)

と広告代理店の立ち上げに誘われ参画。

4年目で年商10億に迫ったところで、営業・人事領域のコンサルティング業界へ。

 

2007年

 8月~フリーランス独立

2011年

 3月 東日本大震災

 7月~広島公益経済団体プロジェクトに参画

 ※震災孤児・母子家庭へ復興支援活動を発起

2012年

~6月 広島公益経済団体プロジェクト終了

 7月~自立支援・文化振興NPO、食肉加工、移動販売などのお手伝い

2014年~アウトソーシングから講師業にシフト

 

 

2019年 現在に至る。

 

すべてが学びだった。

こだわりや執着は、自分自身をがんじがらめにした。

  

認められたい。

モテたい。

成功したい。

名声を得たい。

生きた証しを残したい。

忘れられたくない。

 

多分こんな事を願って生きてきた。

しかしそれらは自分自身にとって『本当の生きる意味』ではなかった。

むしろ、得れば得るほど、失うことに恐れていくものでさえあった。

 

2011年3月11日に起きた東日本大震災。

押し寄せる津波、嘆く人々、原発事故。

誰もが混乱していた。

何も(しなかった)自分。

 

『生きる意味』って何だ。

自分自身を認めることができる、自分って何だ。 

TV、インターネットを見ては無力すぎる自分を知る。

それまでの自分は、(自分以外の何かに、ただ寄りかかっていただけだった)事に気づいた。

いざという時、自らの意思で決めて動ける力が無かった。

本当に大切なことを大切にできるようになりたい。

 

自分自身に向き合わざるを得ず、自分が無力で、無様で、嫌になった。

そのおかげで、少しだけ変われた。

変わったのは、(自らの意思で決めて動ける自分自身になろう)という

ほんの少しの考え方、価値観は一変した

これが人生を大きく変えた。

 

(自分にとって東日本大震災、そこで命を断たれた方々、大切な人を失った方々は、先生だ。)

(命を賭して得た学びに恩返しをせねばならない。)

自らの意思で決めて動ける自分自身)は、全く初めての人生のようで暗中模索だった。

 子どものように、親があれこれ教えてくれるわけはない。

いつの間にか裕福な生活、名声への欲は無くなっていった。

16年を超えるキャリア、それまでの交遊関係も無くなっていった。

【生きなおし】が始まったと気づいた。

 

自らの意思で選ぶ生活の中に喜びがあった。

慕ってくれる人、慕うが在る事の有難さを味わった。

その人たちと限られた時間を共に過ごす事ができ、妥協無く切磋琢磨し、艱難辛苦を乗り超え、想い出話を肴に杯を重ねる、それが自分自身にとって本当の幸せだった。

 

それまで幸せだと思っていたモノとは自らの意思で決めて動いて得たモノ)の分、違っていた。

 

6人に1人が貧困、2人で1人の高齢者を支える時代。

国が国民を守る余力は、無くなっていくかもしれない。

あらゆる負債を先送りにしてきた、現代は正に『待ったなし』。

 

Dead or alive.

 

生きる力って、自立って、大人って何だ。

 

身一つで生きられるか。

誰か苦しんでいる時、寄り添えるか。

どれだけの人を笑顔に出来るか。

 

自らに問い続け、もう半生を生きなおしていきたい。